2007年5月8日火曜日

小学校教室の中の戦争

5月3日、憲法記念日の東京新聞に「施行60年 試される憲法
という紙面の中で、立花先生が「9条変えれば平和国家に幕」と
して、近現代史を学んでいない日本人について触れられていた。
また「ナショナリズム」への警戒感についても。過日の授業の
中でも取り上げていた”ニューズウィーク(英語版)”での
安倍晋三首相を特集していた記事について触れていた。

立花先生が、語る東京新聞紙面でのインタビュー記事を
読んで、わたし(猫の目筆者)が、戦争を意識し始めた
子供の頃のことを思い出した。
それは、小学生の低学年を過ごした頃の教室での記憶だ。
神奈川県下の、米軍住宅施設が近隣にある町の
小学校に通っていた、わたしの小学校の教室には、
当時、地域性なのか、毎日グラフなどが誰もが
目を通せるように置かれていた。
当時は、誰から言われるわけでもなく、教室にいた
生徒たちは、無造作に置かれた、毎日グラフを
興味津々に開いて見ていた。
そこには、ベトナム戦争で、裸で泣きながら逃げまとう
少女のモノクロ写真が載っていた。
どこかの川を必死に泳ぎ渡っている家族の写真があった。
「ショックだった!」
子供のわたしの目には、自分と同じような年恰好の子が
泣きながら逃げ惑う姿がたまらなく、子供ながらに
自分の姿を重ねていた気がする。
教室には、他にも、”はだしのゲン”がまだ当時は
雑誌連載中だったのだろうか?置かれていたのを
”ピカドン”の怖さを知ったのも、その時だ!

昨今、憲法改正や教育基本法の改正問題が
にわかにクローズアップされるにつれ、
”国家”とか”国益”といったナショナリズ的な言論を
やたらと耳にするとが多くなってきた気がする。
今、自分自身を振り返ってみて、子供の頃に
小学校の教室で見た”戦争”は、
ただ、”怖い”、”恐ろしい”ものだった。
”気の毒”とか、”いけない”ではなく、
年恰好も変わらない同じような少女が
泣きながら逃げ惑う姿を目の当たりにして
戦争を知った、”わたし”が、ただいただけである。
そう思うと、今のこどもたちは、戦争をどうやって
知るのだろうとふと気になった。
とにかく、”わたし”にとっての戦争は、小学校の
教室の中に大切にあったような気がする。

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